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私たちの想い

「栄養だし」誕生秘話

『栄養だし』がこの世に生まれた日は・・・

昭和10年。まだ現代のように物が豊かではなかった時代、緑川だし工場(現緑川商店)初代の“緑川博”は東京の小岩にて、業務用の削り節を製造販売しておりました。

削り節は原料である魚を水に浸け蒸す・燻す・乾燥させることで出来上がるのですが、これらの工程により風味や出汁のエキスが流出。また骨をとってしまうため、削り節にするとせっかくのカルシウムを失ってしまうことに初代は気づいたのです。

そこで初代は風味や栄養価をそのまま摂取できるよう、節(燻した魚)を丸ごと粉砕。すると思惑通り出汁にすると濃くて風味が良く、尚且つカルシウムたっぷりの製品となったのです。
まだ食料事情も経済状況も悪いこの時代、安価で栄養補給ができる商品として広まったまだ名もなき「栄養だし」。陸軍部隊・陸軍病院・大手紡績会社給食部・都立病院・江東消費組合栄養食部などに納品することになったのです。

 

「栄養だし」の名付け親、栄養学者“川島四郎”

「栄養だし」という商品名は少々変わったネーミングではありますが、この名付けのきっかけは戦時中にまで遡ります。
多数の栄養にかんする著書を出版した、桜美林大学教授の栄養学者、故川島四郎氏。日本食を祖とした栄養学を説いた学者として非常に有名な方ですが、実は川島氏が「栄養だし」という商品名の名付け親なのです。

戦時中川島氏は軍にて軍用糧食の研究を行い、農学博士号を取得しました。当時初代は陸軍にこの商品を納品していたことから川島氏と知り合うこととなったのですが、川島氏から、「栄養バランスが非常に優れているから栄養だしという名前を付けたらどうだろう?」と言われたことがきっかけで「栄養だし」という商品名が誕生したのです。

川島氏は日本食の栄養学を研究した数少ない学者であり、著書のなかで栄養だしについても触れています。戦時中、体格の良い青年が皆漁村出身だという点に着目して調べたところ、その理由は小魚を毎日摂取しているか否かだったと、著書のなかで述べています。

また川島氏は小魚を丸ごとすり潰したものと牛乳の成分の比較研究も行っており、小魚と牛乳はほぼ栄養成分が変わらないと発表。そんな川島氏の想いを、私たちはこれからも受け継いでいきたいと考えております。

出典:新潮文庫 / 日本食長寿健康法 / 川島四郎 
 

新鮮な魚を求めて九十九里へ

新鮮な魚を求めて九十九里へ

初代が開発した「栄養だし」の原材料の一つであるイワシ。イワシは非常に酸化しやすい魚のため、水揚げ後すぐに加工する必要があります。

昭和30年、二代目である“緑川重一”が初代の意志を継ぎ、「株式会社緑川商店」を東京は小岩にて設立したのですが、より新鮮な魚を求めて昭和後期、現在の場所九十九里へと移転しました。

九十九里は日本屈指のイワシの漁場と言われていますが、その理由はイワシの漁期である秋冬の気候が天日干しにぴったりだから。夏のように強くない日差しであり、尚且つ冷たく乾いた風は、「旨み」と「香り」を最大限に引き出してくれるのです。

また九十九里浜周辺には目利きの漁師が多いため、本当に新鮮なイワシをすぐに手に入れることができるだけでなく、加工方法を直接指示できることも大きなメリット。市場に並ぶイワシは腐敗を防ぐために海水と同程度の濃度の塩水で煮るのですが、これでは少々塩味が強すぎると私たちは思っております。

子どもから高齢者まで本当に美味しいイワシ煮干を食べていただくためにも、当店で扱う煮干は丁度良い塩分濃度に調整。素材の風味を存分に味わっていただける商品となっております。
 

化学の力を借りず、自然そのままの味を

栄養だし

私たちは特別なものを作りたいとは考えていません。初代が開発した「栄養だし」が毎日の食卓のなかに自然と溶け込んでいる光景を願っているのです。

 

健康な身体は、毎日の食事から長い長い時間をかけて作られるものだと信じております。「医食同源」の教えを私たちは大切にしていますが、食べることは生きること。化学の力を借りず自然そのままのカルシウムを食品から自然な形で摂取することが、健康な身体づくりの一歩ではないでしょうか。


 

イワシには「肉間骨」という小骨があり、これこそがカルシウムの源。日本古来の製法で保存料や酸化防止剤を加えず無添加にこだわるのには、自然な味で自然な形で食卓に私たちが誇る「栄養だし」が根付いてほしいという願いがあるからです。

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